北方領土 色丹島 その4 色丹島の今
さて、次は色丹島がどんなところかについてです。
ビザなし交流船えとぴりかで色丹島に近づくと最初に見えてくるのはこんな断崖絶壁です。
根室港から朝出発して、入域手続のため国後島沖に寄ってから色丹島に向かうと、色丹島付近に到着するのはその日の夕方なので、その日は色丹島沖で停泊した船内で過ごし、上陸は翌朝となります。
穴澗湾の桟橋と水産加工工場
色丹島上陸後にすぐに見学するのは、港の目の前で目下建設中の水産加工工場。これが完成すればロシアでも最大かつ最新式の設備を備えた工場となり、約500人ほどの雇用が見込まれるとのこと。全てオートメーションで、機械類はほぼアイスランド製やドイツ製であり、日本製のものはないとのことでした。
建設しているのは択捉に拠点を持つキドロストロイ社で、政府の補助金などは入っていないそうです。
次に見学したのは、初等中等学校。
6歳から17歳までの生徒130人程度が学んでいるとのことで、単純に計算すると1学年12人くらいです。この時期、すでに夏休み中で、子供たちはいませんでした。
道路は新しい水産加工工場周辺を除き舗装されていません。このため、大きなタイヤのオフロード車のような車が多く、砂埃をあげながら走っていきます。
また、自然が美しい島でもあり、ハイキングコースなどを整備すればよい観光資源になりそうです。でもその前に、ただ一箇所に集められて、投げ捨てられているだけのゴミ捨て場の問題や、使われなくなった建物の廃墟、海岸に打ち捨てられたままになっている廃船の問題なんかはどうにかした方が良さそう…と思ってしまうのは、日本人的発想なのでしょうか?
美しい自然の風景
海岸で遊ぶ子供たち
使わないれなくなった冷戦時代の軍の宿舎跡
商店では、思ったより品物は豊富で、日本製のお菓子やシャンプー、韓国の製品も並んでいました。ほぼ外から輸送する必要があるので、値段は高めのようです。
北方領土 色丹島 その3 若い世代への期待
今回のビザなし訪問では、団長を務めた神戸学院大学の岡部教授と、副団長の歌う漫画家こと富澤きららさん、そして神戸学院大学の学生さんたちを中心とするメンバーが住民交流会の催しを企画してくれました。
住民交流会とは、日本からの訪問団と四島島民双方が参加して、お互いに歌やダンスなどを披露して文化交流を行うイベントです。
ロシア側の発表もプロ顔負け!
日ロ共通に知ってる曲として、恋のバカンスがあることがわかりました^ - ^
今回、日本側は団長、副団長、そして大学生たちを中心としたメンバーが「アニメ・オタク文化青年サミット in 色丹」と銘打ち、ゆるキャラの描き方ワークショップやコスプレコンテスト、アニメソングのライブなどを催しました。
アイドルのようにかわいい富澤きららさんの観客を惹きつける力と歌唱力はさすが!
また、カラーボールやサイリュームなどを使った華やかな演出で盛り上がり、途中から小さな子供たちも舞台に上がって一緒に踊るなど、大盛況のうちに幕を閉じました。
コスプレコンテスト
観客からの拍手の大きさで優勝を競います。
日本人だけでなく、色丹島住民の若者も参加しています。
ロシア語と日本語で司会を務めた岡部団長とあべさん
アニソンライブの写真がナイ。。
一緒に楽しんでしまったので撮ってません。。
翌日、このイベントで配った猫耳をつけて道を歩いている小さな女の子も見ました。
日本が誇るコンテンツ産業であるアニメというツールをうまく使って、こんな形の交流もあるよと示してくれた大学生たち。
国家の壁、排他的なナショナリズムの壁をふんわりと乗り越えていってほしいなと、若い世代に期待しています!
北方領土 色丹島 その2 元島民の得能さん
私が参加したビザなし交流事業では、得能宏さんという元色丹島島民の方とご一緒し、いろいろな話を聞くことができました。
得能宏さん
得能さんは現在85歳ですが、水産加工会社を経営しながら、北方領土の語り部としての活動もされています。
● 終戦の時、大人たちがアメリカ軍が来ると言っていたけど、実際に来たのはソ連軍だったこと。
● ソ連軍が来た後もしばらく色丹島で暮らしていたが、ソ連軍に家も何もかも奪われて、日本人は家畜小屋などに住み、厳しい生活を余儀なくされたこと。
● 学校だけは死守しようと、女性教師が気丈にがんばった結果、学校の建物を半分に分けて、片方はソ連人の学校、片方は日本人の学校という状況でしばらく過ごしたこと。
● その時、ソ連軍人の家族として来た美しい少女との間で、淡い初恋があったこと。
● 得能さんが以前住んでいた場所は現在、軍の管理区域となっていて立ち入ることができないけど、色丹島の友人たちが一生懸命働きかけてくれて、一度だけ、軍の厳格な監視の下ではあったものの訪問がかなったこと。
…などなど。
得能さんの色丹島での経験は、「ジョバンニの島」というアニメ映画で映画化されたそうです。
そして北海道に引き上げて、生活していたある日、色丹島の青年が昔、色丹島に住んでいた日本人に興味を持ち、会ってみたいということだったので、得能さんは知り合いを通じてその青年を紹介されたそうです。
トマソンさんというその青年は、得能さんの次男さんと同じ歳だったことから、二人は親子の契りを結んで、以来、親しく交流を続けているのです。得能さんが色丹島を訪問するほか、トマソンさんご夫婦が得能さんを訪ねて北海道を訪れたりもしているようです。
今回、私はたまたま得能さんと一緒にトマソンさん一家を訪問することができ、得能さんとトマソンさん一家の、家族ぐるみでの親しい交流の様子を垣間見ることができました。
斜古丹地区にある日本人墓地
斜古丹地区の日本人墓地で墓参する得能さん
イネモシリ地区の日本人墓地
お墓だから荒らさないでの表示
今回のビザなし交流中、日本人墓地を訪れる機会がありましたが、日本人墓地は草刈りも行き届き、ゴミもなく、キレイに保たれていました。
得能さんによると、色丹島の住民がきちんと管理してくれているそうで、北方四島の中でもこのように、元島民に対して親日的な態度でまとまっている例は珍しいそうです。
これは、ビザなし交流を通じたこれまでの交流の成果なのでしょうか。
元島民の方々が複雑な思いを抱えながらも一旦それを脇において、現島民の方々と友好的な態度で交流を続けてこられたことの成果なのかな、と感じました。
領土問題というネガティブな問題をきっかけとして、このような交流が行われている例というのは、世界広しと言えどもなかなか稀な例ではないかなと思います。竹島や尖閣諸島の状況と比べても…ちょっと考えにくいです。
また、得能さんという方は不思議な方で、ロシア語がすごくできるというわけではないのですが(失礼)、なぜか愛情はしっかり相手に伝わっているのです。
今回、ご一緒していても、とてもあたたかい雰囲気のするステキな方でした。故郷を返してほしいという気持ちは本物でしょうし、ロシア側の対応に満足はされてないとは思いますが、過去の怨みとか、怒りといったものを糧に生きてらっしゃる方というふうには全然見えませんでした。
領土の返還を訴えてはいても、怒りや怨み、対立ではなく、友好的な態度で交流していくこともできる…これには感心しました。
27年間、ビザなし交流を続けていても、まだ島は一つも返ってきていないと切り捨ててしまうのは簡単ですが、色丹島では、友好的な姿勢で交流を積み重ねてきたことの成果はでていると感じました。
北方領土 色丹島 その1 ビザなし交流とは
6月の半ばに、仕事の関係で縁があり、ビザなし交流の枠組みで北方領土の色丹島を訪問する機会を得た。
ビザなし交流とは、1991年、冷戦終結後のソ連でゴルバチョフ氏がごく短い期間、大統領を務めていた時期に、日ソ間で合意された北方領土島民と日本人の相互交流のための枠組みである。
日本人が北方領土に渡るには、例えば、パスポートを持って、ロシア側の入管手続を経てサハリンに渡り、そこから外国人として四島に渡ることもできなくはないけども、そうすると、北方領土を日本の領土と主張している日本政府の立場を傷つけてしまう。そのため、外務省は国民に対して、このような形での渡航を自粛するよう要請している。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo_qa.html
そうした中、北方領土問題をめぐる政府間交渉の環境づくりを目的として、北方領土に対する日ロ両政府の立場を害さない形で、日本人と北方領土の現島民の交流を図ることができるよう開始されたのが、このビザなし交流である。
現在、日本人側でこの交流事業に参加できるのは、主に元島民やその子孫、北方領土返還運動関係者、政府関係者などに限られている。
しかし、元島民らの高齢化が進む中、日本の北方領土返還運動を引き継ぐ後継者育成も必要になっており、私が参加した令和元年第3回ビザなし交流では、神戸学院大学の岡部教授が率いる大学生たちや、北海道大学でロシア語を学ぶ学生さんたちなど、若い人たちが多く参加していた。
「ビザなし」と言っても、まるで日本国内を移動するのと同じように、何の手続きもなく四島に行けるわけではない。
まず事前に戸籍謄本と顔写真、サインをロシア側に提出して、国後島沖の船上で、ロシア当局による「入国手続」ならぬ「入域手続」を受ける(ロシア側の担当者から事前に提出した顔写真と本人の顔が同じかを確認される程度)。
また、現地では必ず団体行動を求められ、好きに出歩いてよいわけでもない。もし何かあって、ロシア側の警察のお世話になることになりでもしたら、日本の領土であるはずの北方領土で日本人にロシア側の法律が適用されたりして、外交上、厄介なことになるためだ。
交流事業船えとぴりか
正直なところ、この交流事業に参加することになった時、とても気が重かった。
長い時間舟に乗るということもそうだが、
領土問題はどちらかというと排他的なナショナリズムをあおる方向に行きがちで、故郷を奪われた元島民の気持ちがわからないわけではないけれども、感情的に対立をあおっても解決策がない気がして、今ひとつ共感できてこなかったためだ。
「武力で領土を奪ったロシア、けしからん!」
「日ソ不可侵条約を破ったロシアは信用できない」
「島を返せ!」
口でそういうのは簡単なんだが、それだけでは解決にならない気がする。
それこそ、どこぞの国会議員が口にしたように戦争以外には。
そういう考え方の人たちばかりの中に放り込まれるのかと思うと、正直、共感できない気がして、むちゃくちゃ気が重かったのである。
しかし、今回、私がこの交流に参加して、実際に見て、聞いて、感じたことは、当初のこうした予想とは大きく異なり、もっと、もっと深くいろいろと考えさせられることになった。
日光社山と菖蒲が浜キャンプ
5月下旬の日光。
秋の日光もいいけど、その季節は土日ともなるとなにぶん人が多すぎて、道も激混み。
その時期を除くと、日光で一番いい季節だと思うのが5月下旬から6月初め。
昨年はちょうどその時期に男体山に登ったけど、今年は男体山の向かいにある社山に登るのだ!
最初は、中禅寺湖沿いをてくてく歩き、途中からぐんぐん標高を上げていく。
イタリア大使館別荘
シロヤシオがさかりをむかえていました。
釣り人の姿も。。
やっと社山。まだ新緑が山頂までたどり着く前です。
標高を上げていくと、向かいあう男体山と中禅寺湖が見渡せます。ひゃっほー!
山頂の眺望
下山後は、中禅寺湖をぐるっと回って、菖蒲が浜キャンプ場で個テント泊。
菖蒲が浜キャンプ場は広々としていて、どこでも好きなとこにテントを張っていいとのこと。
炊事場やキレイなトイレもあって、快適です!
私たちのテントは登山用の軽い1〜2人用テントですが、キャンプ場を改めて見回してみると、なんだかスゴイ。。
テントでもちゃんと居間と寝室、キッチンが分かれていたり、ソファだの、テーブルだの運び込んじゃって、なかにはダブルベットまで。。
ここまではまぁ、無理ですが、焚き火セットはいいな〜。火、おこしたい。。
朝のキャンプ場。絵になるわ〜。
● たびDATA
【交通】車 1人5000円くらい(頭割り)
【宿泊】菖蒲が浜キャンプ場 1000円
【入浴】ホテル四季彩 1080円
雪解け前の尾瀬ヶ原
5月半ばの尾瀬に誘われた。
ミズバショウ時期の尾瀬には行ったことがあるけど、その前って一体どんな感じなんだろう??
結論から言うと、それは危険極まりない尾瀬でした😱
GW中は、残雪期の雪山として至仏山に登る登山者も結構いるようです。でもGWが終わると、植生保護のため、至仏山は入山禁止となります。
そんな時期だからか、土日だというのに鳩待峠の駐車場には車は私たちだけで、歩いていても他の登山者とはたまーにすれ違うくらい。
奥にまだ雪が残る至仏山。
こんなにひねくれちゃって。。
何が危険極まりないかというと、この時期、表面上は雪で覆われているように見えても、下は雪がとけて水が流れてるんです!
とくに、木道と木道のすき間。
でも、上から見てもどこがそうなのか、よくわかりません。
そんなところに、日の高くなって雪が緩んだ頃に乗ろうものなら、雪が壊れ、水に落ちるハメに。。
私も1度、落ちました。
身体を引き上げようと、まわりの雪に手をかけて体重をかけたらまたそこが壊れ、さらに深みに…。。。゚(゚´Д`゚)゚。
結局は仲間に引き上げられて、ようやく脱出しました。
水に落ちるとも知らず。。の図
ミズバショウもチラホラ、顔を出していましたが、まだまだ白いツノの状態のものがほとんどです。
見晴にテントを張った私たち。
この日のテント場は、私たち以外にはソロの人が1人と親子連れが1組で閑散としてます。
ここでまた、致命的なミスを😱
この時期、昼間は気温が18度くらいまで上がりますが、朝晩はマイナスになります。
そんな中、靴を外に出して寝てしまいました。
水に落ちて濡れた靴は翌朝、カチンコチンに凍っています。やっちまったーっ。
でも、これを履くしかありません。
幸い、凍傷とかにはなりませんでしたが、カチンコチンで木靴みたい。履きにくいこと、この上なし!
翌朝、早朝のうちはまだ雪が凍っているので歩きやすいけど、9時ごろにはもう雪が緩み始めます。
燧ヶ岳をバックに。。
白い点々はミズバショウ↓
雪がほぼとけるまでには、まだあと2週間といったところ。
帰り道、沼田トンカツ街道でミニソースカツ丼 800円なり。
えっ、ミニ…???
● たびDATA
【交通】車 5700円 (食費と合わせて頭割り)
【宿泊】800円(見晴 テント料)
【その他】カツ丼 800円(店名不明)
日帰り温泉 500円(ぷらり館)
雨の鹿児島遠征。。
10連休のGW、鹿児島の百名山、開聞岳と霧島連山の2座登頂を目指して鹿児島へ。
平成最後の日と令和元日をはさんで3泊4日の行程です。
しかし、毎日雨、雨、雨…そして、やっと晴れたのは帰る日の前日の夜。平成最後の日、令和元日ということで雨の中、登ってる人もいたようですが、かなり強い雨だったので、私たちは結局一座も登らず、ただの観光・グルメ旅行となりました。
しかも、今回の旅行中、大きなトラブルはなかったものの、最初からプチトラブル続きだったんです。
● 行きの飛行機、出発が1時間遅れる。
● 行きの飛行機、天候不良でなかなか降りられない。
●ツレのカメラ、壊れる。
● オススメされた温泉に行ってみたら休館。
● 郷土料理店が満席で入れず。
● 砂蒸しが激混み。
● ホテルのカギ、壊れる。
● ツレの傘、消える。
● 空港で荷物、ばらまく。
● 帰りの飛行機の搭乗口がいきなり変更。危うく帰りの便に乗りそこねるところだった。
温泉が休みとか、店が満席とかは連休だからまぁ仕方がないとしても、ホテルのカギが壊れるとか、傘がなくなるとかいうのは。。(T-T)
ここまでくるともう、方角が悪かったからとしか思えません。
雨の霧島神宮へ
年に一回、この時期だけ立てられる五月幟(ごがつのぼり)。でもこの日は雨のため取り外されてました。天気が悪いとすべてダメ…と悟った瞬間。。
仕方がないので、指宿で砂蒸しして、宿で令和特番のテレビ見ながらお酒飲んで、鹿児島グルメを楽しんで帰ってきました。
しかし、新たな発見もありました。
鹿児島の焼酎はおいしい!
ふだん、焼酎をあまり飲まないし、味もよくわからないけど、現地で飲んだ桐野という焼酎と、お土産に空港でお土産に買った九州限定の「さつま無双 極みの黒 紫芋」は、やわらかく、上品な味わいでホントにおいしかった!
焼酎に開眼した!
● たびDATA
【交通】
JET STAR 成田⇄鹿児島 飛行機 約37000円(GW価格!)
現地での交通費 8100円(鹿児島空港→鹿児島→国分→指宿→鹿児島空港)
【宿泊】
国分 : ホテルネクステージ 5000円/1人 1泊
指宿 : 指宿静香 5000円/1人 2泊
【観光】
仙巌園 1300円
指宿 砂蒸し 1400円
合計 ざっくり、62800円!