北方領土 色丹島 その2 元島民の得能さん
私が参加したビザなし交流事業では、得能宏さんという元色丹島島民の方とご一緒し、いろいろな話を聞くことができました。
得能宏さん
得能さんは現在85歳ですが、水産加工会社を経営しながら、北方領土の語り部としての活動もされています。
● 終戦の時、大人たちがアメリカ軍が来ると言っていたけど、実際に来たのはソ連軍だったこと。
● ソ連軍が来た後もしばらく色丹島で暮らしていたが、ソ連軍に家も何もかも奪われて、日本人は家畜小屋などに住み、厳しい生活を余儀なくされたこと。
● 学校だけは死守しようと、女性教師が気丈にがんばった結果、学校の建物を半分に分けて、片方はソ連人の学校、片方は日本人の学校という状況でしばらく過ごしたこと。
● その時、ソ連軍人の家族として来た美しい少女との間で、淡い初恋があったこと。
● 得能さんが以前住んでいた場所は現在、軍の管理区域となっていて立ち入ることができないけど、色丹島の友人たちが一生懸命働きかけてくれて、一度だけ、軍の厳格な監視の下ではあったものの訪問がかなったこと。
…などなど。
得能さんの色丹島での経験は、「ジョバンニの島」というアニメ映画で映画化されたそうです。
そして北海道に引き上げて、生活していたある日、色丹島の青年が昔、色丹島に住んでいた日本人に興味を持ち、会ってみたいということだったので、得能さんは知り合いを通じてその青年を紹介されたそうです。
トマソンさんというその青年は、得能さんの次男さんと同じ歳だったことから、二人は親子の契りを結んで、以来、親しく交流を続けているのです。得能さんが色丹島を訪問するほか、トマソンさんご夫婦が得能さんを訪ねて北海道を訪れたりもしているようです。
今回、私はたまたま得能さんと一緒にトマソンさん一家を訪問することができ、得能さんとトマソンさん一家の、家族ぐるみでの親しい交流の様子を垣間見ることができました。
斜古丹地区にある日本人墓地
斜古丹地区の日本人墓地で墓参する得能さん
イネモシリ地区の日本人墓地
お墓だから荒らさないでの表示
今回のビザなし交流中、日本人墓地を訪れる機会がありましたが、日本人墓地は草刈りも行き届き、ゴミもなく、キレイに保たれていました。
得能さんによると、色丹島の住民がきちんと管理してくれているそうで、北方四島の中でもこのように、元島民に対して親日的な態度でまとまっている例は珍しいそうです。
これは、ビザなし交流を通じたこれまでの交流の成果なのでしょうか。
元島民の方々が複雑な思いを抱えながらも一旦それを脇において、現島民の方々と友好的な態度で交流を続けてこられたことの成果なのかな、と感じました。
領土問題というネガティブな問題をきっかけとして、このような交流が行われている例というのは、世界広しと言えどもなかなか稀な例ではないかなと思います。竹島や尖閣諸島の状況と比べても…ちょっと考えにくいです。
また、得能さんという方は不思議な方で、ロシア語がすごくできるというわけではないのですが(失礼)、なぜか愛情はしっかり相手に伝わっているのです。
今回、ご一緒していても、とてもあたたかい雰囲気のするステキな方でした。故郷を返してほしいという気持ちは本物でしょうし、ロシア側の対応に満足はされてないとは思いますが、過去の怨みとか、怒りといったものを糧に生きてらっしゃる方というふうには全然見えませんでした。
領土の返還を訴えてはいても、怒りや怨み、対立ではなく、友好的な態度で交流していくこともできる…これには感心しました。
27年間、ビザなし交流を続けていても、まだ島は一つも返ってきていないと切り捨ててしまうのは簡単ですが、色丹島では、友好的な姿勢で交流を積み重ねてきたことの成果はでていると感じました。