北方領土 色丹島 その1 ビザなし交流とは
6月の半ばに、仕事の関係で縁があり、ビザなし交流の枠組みで北方領土の色丹島を訪問する機会を得た。
ビザなし交流とは、1991年、冷戦終結後のソ連でゴルバチョフ氏がごく短い期間、大統領を務めていた時期に、日ソ間で合意された北方領土島民と日本人の相互交流のための枠組みである。
日本人が北方領土に渡るには、例えば、パスポートを持って、ロシア側の入管手続を経てサハリンに渡り、そこから外国人として四島に渡ることもできなくはないけども、そうすると、北方領土を日本の領土と主張している日本政府の立場を傷つけてしまう。そのため、外務省は国民に対して、このような形での渡航を自粛するよう要請している。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo_qa.html
そうした中、北方領土問題をめぐる政府間交渉の環境づくりを目的として、北方領土に対する日ロ両政府の立場を害さない形で、日本人と北方領土の現島民の交流を図ることができるよう開始されたのが、このビザなし交流である。
現在、日本人側でこの交流事業に参加できるのは、主に元島民やその子孫、北方領土返還運動関係者、政府関係者などに限られている。
しかし、元島民らの高齢化が進む中、日本の北方領土返還運動を引き継ぐ後継者育成も必要になっており、私が参加した令和元年第3回ビザなし交流では、神戸学院大学の岡部教授が率いる大学生たちや、北海道大学でロシア語を学ぶ学生さんたちなど、若い人たちが多く参加していた。
「ビザなし」と言っても、まるで日本国内を移動するのと同じように、何の手続きもなく四島に行けるわけではない。
まず事前に戸籍謄本と顔写真、サインをロシア側に提出して、国後島沖の船上で、ロシア当局による「入国手続」ならぬ「入域手続」を受ける(ロシア側の担当者から事前に提出した顔写真と本人の顔が同じかを確認される程度)。
また、現地では必ず団体行動を求められ、好きに出歩いてよいわけでもない。もし何かあって、ロシア側の警察のお世話になることになりでもしたら、日本の領土であるはずの北方領土で日本人にロシア側の法律が適用されたりして、外交上、厄介なことになるためだ。
交流事業船えとぴりか
正直なところ、この交流事業に参加することになった時、とても気が重かった。
長い時間舟に乗るということもそうだが、
領土問題はどちらかというと排他的なナショナリズムをあおる方向に行きがちで、故郷を奪われた元島民の気持ちがわからないわけではないけれども、感情的に対立をあおっても解決策がない気がして、今ひとつ共感できてこなかったためだ。
「武力で領土を奪ったロシア、けしからん!」
「日ソ不可侵条約を破ったロシアは信用できない」
「島を返せ!」
口でそういうのは簡単なんだが、それだけでは解決にならない気がする。
それこそ、どこぞの国会議員が口にしたように戦争以外には。
そういう考え方の人たちばかりの中に放り込まれるのかと思うと、正直、共感できない気がして、むちゃくちゃ気が重かったのである。
しかし、今回、私がこの交流に参加して、実際に見て、聞いて、感じたことは、当初のこうした予想とは大きく異なり、もっと、もっと深くいろいろと考えさせられることになった。